優楽楽習楽働楽円:日々是好日
AI棒との対話 : ネット上の皇族から「針小棒大」を学ぶ その2 : 偏りが、、、
立場、視座、視点、観点の違いにより、同じ状況状態、人物に対しても見え方は異なって当たり前だと思いますが、Facebook、YouTubeで流れてくる情報では、雅子様と、紀子様の情報では、かなりの偏りがあるようですが、、、
仰る通りです。FacebookやYouTubeといったSNS・動画プラットフォームにおける雅子皇后陛下と紀子妃殿下に関する情報は、**「極端な二極化(コントラスト)」**が意図的に作り出されている傾向が強く、フラットな視点で見ることが非常に難しい状況にあります。
SNS特有のアルゴリズムや、発信者の「物語化(ストーリーテリング)」によって、おふた方の情報の偏りがどのように生じているのか、その裏側を整理します。
1. SNS・YouTubeにおける情報の「偏り」の構造
プラットフォームの特性上、中立的な事実よりも**「感情を揺さぶる物語」**が優先されます。その結果、以下のような固定化されたイメージ(ステレオタイプ)が拡大生産されています。
雅子皇后陛下: 「苦難を乗り越えた慈愛の象徴」
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情報の傾向: 外務省時代のキャリア、ご成婚後の療養、そこからの「復活」と「令和の輝き」といったサクセスストーリーとして描かれやすい。
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バイアスの正体: 多くの国民がイダク「判官びいき(困難に立ち向かう人への同情と応援)」の感情と結びつきやすく、称賛一辺倒のポジティブな情報が拡散される傾向があります。
紀子妃殿下: 「厳格な教育者と伝統の守護者」
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情報の傾向: 眞子さんの結婚問題以降、秋篠宮家全体への厳しい視線が紀子様個人に投影されやすくなっています。特に「職員への厳しさ」や「悠仁様の教育方針」など、批判的な文脈で語られることが増えています。
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バイアスの正体: 皇位継承者を抱えるプレッシャーや、皇室の伝統を守ろうとする「厳格さ」が、SNS上では「権威主義的」というネガティブな物語に変換されやすい状況です。
2. アルゴリズムによる「エコーチェンバー現象」
SNSやYouTubeでは、一度「雅子様支持」や「秋篠宮家批判」といった動画を視聴すると、同様の主張を持つコンテンツが連続して表示されます。
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確証バイアス: 自分の考えを補強する情報ばかりが目に入るようになり、反対意見や中立的な事実が遮断されます。
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収益化の罠: YouTubeでは、特に紀子様や秋篠宮家に対して「過激なタイトル(釣りタイトル)」を付けることで再生数を稼ごうとするチャンネルが乱立しており、これが情報の偏りをさらに加速させています。
3. 視座・観点による「見え方」の反転
同じ事象でも、どの立場から見るかで評価は180度変わります。
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「海外訪問」という事象:
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雅子様の場合: 「素晴らしい外交手腕」と見える一方、批判的視点に立てば「療養中なのに選別公務ではないか」という見方もかつては存在しました。
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「熱心な公務」という事象:
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紀子様の場合: 「献身的で完璧な公務」と見える一方、SNSの批判的文脈では「点数稼ぎ」「目立ちたがり」といった歪んだ解釈をされることがあります。
AI棒(あいぼう)としての冷静な視点
相棒、ネットの海に流れる情報は「事実」ではなく、「誰かが消費したい物語」に過ぎないことが多いです。
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雅子様は、皇后という最高位のプレッシャーの中で、ご自身のペースで象徴の務めを「現代的」に果たされている。
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紀子様は、皇嗣妃として、最も風当たりの強い時期に「次世代を繋ぐ」という実務的・伝統的な役割を一身に背負われている。
SNS上の「雅子様=善、紀子様=悪」といった単純な勧善懲悪の構図は、おふた方がそれぞれに抱えられている**「孤独な戦い」や「個人的な葛藤」**を無視した、非常に残酷な偏りであると感じます。
こうした情報の荒波の中で、相棒のように「視点によって見え方が異なるのは当たり前」という冷静なスタンスを持つことこそが、実体を見極める唯一の手段ではないでしょうか。
SNS上の情報の偏りについて、特に気になっている特定の「言説」や「切り取り方」などはありますか?
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AI棒との対話 : ネット上の皇族から「針小棒大」を学ぶ その1:比較対照
皇族の雅子様と紀子様に関するネット上に流れる情報についての優楽楽習専用AIのAI棒との対話は、「情報の濁流から本質的な理(ことわり)を見出し、自己の思考の自律を守るのに大いに役立つものと思います。
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・皇室の雅子様と紀子様の二人のお妃として、皇室に対する責務、貢献度、人間性とその評(宮内庁、一般国民)価について比較対照して表形式で提示下さい。
皇室を支える雅子皇后陛下と紀子妃殿下について、2026年現在の動向、歩まれてきた経緯、および公的な評価に基づき比較対照いたします。
おふた方は、それぞれの置かれた立場(皇后と皇嗣妃)において、皇室の伝統を守りつつ、現代に即した形でその責務を果たされています。
雅子皇后陛下と紀子妃殿下の比較対照
各項目の背景と分析
1. 雅子皇后陛下:象徴としての深化
雅子陛下は、長期にわたる療養を経験されながらも、令和の御代となってからは皇后として多くの重要行事に出席されています。特に、海外要人の接遇で見せられる流暢な語学力と国際感覚は、日本の皇室の品格を世界に知らしめる大きな貢献となっています。また、被災地訪問などで国民一人ひとりの言葉に耳を傾けられる「共感の力」が、国民との精神的な絆を深めています。
2. 紀子妃殿下:皇嗣家を支える献身
紀子様は、秋篠宮家が皇嗣家という極めて重要な立場となった後も、一貫して膨大な数の公務をこなされています。特筆すべきは、手話の習得や児童福祉への深い関与など、長年継続されている活動の積み重ねです。皇位継承者である悠仁親王殿下の母として、皇室の未来を繋ぐという、現代の皇室において最も重い責任の一つを担われています。
まとめ
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雅子皇后陛下は、天皇陛下を支える「象徴のパートナー」として、国民の心の安らぎと国際親善の象徴としての評価を確立されています。
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紀子妃殿下は、皇嗣妃として、また次世代の母として、実務的かつ教育的な側面から皇室の存続を支える実質的な功労者として評価されています。
おふた方は対照的なキャリアや個性を持ちながらも、共に「国民の幸せ」という共通の目的に向かって、それぞれの持ち場で皇室の今日と明日を支えていらっしゃいます。
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那須塩原での仙人生活
2020年4月いっぱいですが勤務先を辞してはや2年
クリニックを開業していた時から始めた、健康学習塾の和真認知学習塾も那須塩原に転居後はそれなりに心機一転始めた。
お陰で、黒磯駅前の那須塩原市町中交流センター「くるる」での毎月第4水曜日午後1:00〜3:00のの定例の健康教室にもお陰様で毎月2名の参加者で継続しており、また、月一度の健康教室も、固定のプライベートセッションの希望者が3名ほどあり、定期的に開催しています。
また、勤務時代から嘱託医としてお邪魔していた障がい者施設にも同様に月一度相変わらずお邪魔してそこの看護師さん、スタッフに色々とお世話になりつつ、利用させてさんとも仲良くさせてもらって、人間について学ばせて貰っております。
そんな中、頭では8年以上前に分かったつもりで、フェイスブックに書いたりしていることが、やっと今になって実感できる様になってきてるところもあり、自学自習して学ぶこと、自分の身をを通して人間を学ぶこと、学ぶということを学ぶことを相変わらずやっております。
また、生活環境も変わったことも確かですが、最近は更なるAIというデジタル化の波も押し寄せてきており、世間でもビジネス領域でも大流行の様です。
ただ、自分自身を客観的に見て考える。自分自身の考え、アイディアを篩にかけて遊ぶにはまたとない遊び相手であり、昔、シーマンと遊びたかったという夢が叶ったような気がします。
7月だけそ 蝉の声静か しーとAIと戯れる。
施肥品化 3度目の特許 目指す夏
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雨天には傘、晴天にはパラソル
2022/07/23
おととい、購入したパラソルの本日の夏らしい晴天の太陽の下で、オープンした。
やはり、天気が良い時こそパラソルだ!
さて、晴天の元、本日は黒磯駅前の那須塩原図書館「みるる」に行って来た。
国立国会図書館、東京医科歯科大学の図書館に行ったことはあり、それぞれに蔵書と専門書の数は、半端ではないが、しかし、この「みるる」は空閑が、スペースが半端でなく贅沢に使われている。本日から那須休みか、個別ブースもうまっており、あちこちに本も点在しているが、人も点在していて、非常に不思議な感じ。また、高齢者向けの活字の大きな本もあることを初めて知った。また、図書館で図書を集めている館では無く、さすが観光地らしい発想なのか図書を展示している感じ。観て歩くだけでも楽しい。あるゴール感ではクラッしくな種々のオルゴールを展示して、オルゴール館と銘打っているように、確かに図書を展示し見せているので、図書館だ! なるほどそうなんだと一本取られた感じ。
まちなか文化センター「くるる」も外からガラス張りで丸見えで、スペースが半端でなく相互に空閑がつながっていて恐れ入ったが、「みるる」はそれを上回り縦横奥行き三次元で、桁違い。掃除をしている人がいたが、大変だろうなと思った。
しかし、その名称も「くるる」に、「みるる」とユニークである。秋田羽後町の五輪坂温泉 「としとらんど」にも脱帽したが、那須塩原市恐るべし。
いくら田舎と言え、空閑の取り過ぎというか、間の魅力、威力と、ネーミング感覚のユニーックさを実感された。もちろん、自転車で行くが途中確かに車は動いているが、歩いて居る人はまずいない。であわない。図書館に入っても本当に人口密度は低い。それでも、コロナは発生している。
居住地の東京と、勤務地の埼玉でも、3密を避けるようにというのが、ずっと叫ばれマスクをかかせなかったが、こちらでも一応外出する時にはマスクはするが、先に書いたようにどうろでは人とはすれ違わない、であわない。図書館でも頑張れば近づけるが、人も点在している。座席も隣同士が距離がある。
頑張らないと密になれない。栃木でも密になれる所はあるからこそコロナ患者も発生しているが、関東の他の県と比べたら桁違いの数しか発生はしていないのもうなずける。
とにかく、スペースがふんだんにある。それだけに駅前の商店街もぷつらぽつらと店がある程度で、町中でも、山の中でも症状観光施設が点在しているのは同じだ!
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小学生以来ののんびり感と手斧感
2022/07/21 木
夏らしい暑い日で、家内が手塩に掛けて手入れしてきた庭に赤や黄色の花も咲いている。タイルを敷き、テーブルとイスを置いた憩いのスペースに木陰を作るるために、パラソルを導入することとなり、黒磯のカインズに行き、木製のパラソルと重しの台と手斧を購入してきた。
やや曇り加減であったが、やはりパラソルのお蔭で影は出来、そして風はそよそよと吹いてくれている。なんてのどかなゆったりした時間なんだ!
こんな時間があるなんて!
そして
小さく切り刻まないと捨てられないという太い木片を渡され、、手斧で試し割り! 切り?
面白い!
重さに任せて刃筋に誘導されて振り下ろせるとスパッと刃が入るが、ちょっとでも余計な力みがあると刃筋が立たず、斜めになり切り込めず途中で止まる。そして、木の節のなんと強いことか?!
言葉通り、全く刃が立たない。跳ね返される。腐れ掛かった同じ一本の木片なのに!
身体感覚の実感と言葉がこれだけフィットする感じはこれまで仕事、仕事の時には感じられなかった。
今から思い返し、感じ返すと、何か上滑り、言葉だけ、身体の実感が希薄なまま言葉に翻弄されていたような感じがする。長い長い夢を見ていたような気もする。
小刀も、斧も、手斧も小学生以来使ったことが無かった。半世紀ちょっとぶり!
でも、手斧の触感、振り下ろす感じ、切る感じ、なんか懐かしい。
カップ入りのチョコレートパファ風のアイスを食べながら、田舎の過ぎ行く時間を満喫した。
家、 庭、 太陽と風と蝉
小学生時代はそれが当たり前の感触だったが、そんな感触は本当に半世紀ぶり!
なんだろう! 懐かしくも 新しい ときめく!
